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切り裂かれたハンカチ(解決編)



「え? 自作自演って……何?」
「術倉さん、あなたが自分でハンカチを切り裂いたんですよね?」
 紗清が冷静に言うと、美波は潤んだ目で紗清を睨んだ。
「あたしがやるわけないじゃない! 彼方先輩にもらったハンカチなのに……。名探偵が聞いて呆れるよ」
 美波は帰ろうとしてハンカチを掴もうとするが、
「簡単なことです」
 と、自信たっぷりに言う紗清の声に手を止めた。
「術倉さんは、どうして犯人がハンカチを切り裂いたとお考えですか?」
「あたしが彼方先輩の恋人って分かったから、嫌がらせしたんじゃないの?」
「では、犯人はどうしてあなたが恋人だと分かったんでしょう?」
「あたしのハンカチに刺繍があったからでしょ!? そういう噂が流れてるじゃない!」
 美波は声を荒げた。
「そう、噂です」紗清は言う。「彼方先輩が『ハートの刺繍がしてある』と言ってハンカチを贈った、というものでした。しかしこれでは、あなたのハンカチは切り裂かれようがない」
 訝しむ美波をよそに紗清は続ける。
「彼方先輩は絵の刺繍がうまいとして有名でしたね? ですから噂を聞いた人は皆、ハンカチには“ハートマーク”の刺繍がしてあると思うはずです。それに対して、あなたのハンカチには“『Heart』という文字”の刺繍。噂を聞いただけでは、このハンカチは切り裂けません。刺繍が図形ではなく文字だったと知っている人物以外には」
「今日あたしが使ってるハンカチの刺繍を見て、図形じゃなくて文字だったって気付いたのかもしれないじゃない」
 負けじと言い返す美波だが、紗清は相変わらずの冷静さだった。
「残念ながら、その可能性は考えにくいですね。ハンカチには四つ折の跡があります。刺繍を左下にした状態で、横に一直線に山折り。縦の線は上半分が山折り、下半分が谷折りです。彼方先輩に渡された時と同じ状態で使っていたのなら――」
 紗清は折り目のとおりに、二つに切り裂かれたハンカチを畳んでいく。
「今までずっと、刺繍は内側に隠れていたはずですよ。このように」
 畳み終わったハンカチの表面に見えるのは、付着した青い油絵の具のみ。刺繍はない。それを見せられ、美波はやっと口を閉じた。自分がやったと認めたようなものである。
 しかし、夕美子は首を傾げた。
「でも、何で彼方さんにもらったハンカチを切り裂いたの? 最後の贈りものだったんでしょう? 別れ際にケンカでもしたのかしら」
「そもそもが違うんです」
 紗清の明朗な声に、美波はびくりと体を震わせた。
「目撃者は通りすがりだったために、彼方さんと誰かがちょうど白いハンカチに触れているという切り取った場面しか見ていません。ということは本来、ハンカチを最初に持っていたのが彼方先輩だとは言い切れないはずです」
「でも、術倉さんはしっかりハンカチを受け取ってるんだから、渡したのは彼方さんでしょう?」
「結果的にはそうですが、先ほども言ったように、最初にハンカチを持っていたのがどちらなのかは、目撃した時点では分かりません。それでも、絶対に彼方先輩がハンカチを贈っているのだと目撃者が思う要素は、先輩の『ハートの刺繍がしてある』という発言と、もう一人の『わざわざありがとうございます』という発言。彼方先輩は刺繍が得意でした。そのことを知っている人は当然、“彼方先輩がわざわざ自分でハートを刺繍して、そのハンカチを誰かに贈っている”と結論付けるでしょう。しかし、私は術倉さんのハンカチを見てしまった以上、目撃者の結論を翻さなければなりません」
 紗清がそこで一旦区切ると、紅茶で喉を潤した。美波は体を強ばらせている。
「翻すって……。渡したのは彼方さんじゃないの?」
「確かに渡したのは彼方先輩ですが、問題なのはハンカチの元々の持ち主です。もし夕美子さんが自分で刺繍したハンカチを愛する人に贈るとしたら、刺繍を見えるようにして渡しませんか?」
「まあ、そうするわね。愛の印を見てほしいもの……あ」夕美子は気付く。
「そうです。術倉さんのハンカチは、刺繍が内側になるように畳まれていました。つまり?」
 そこで紗清が言葉を切ったので、夕美子は自然と引き継いだ。
「ハンカチは彼方さんが贈ったものじゃないんだわ。じゃあ、術倉さんが元々の持ち主なの?」
 紗清は軽くうなずく。おかっぱが揺れた。
「部活で油絵の具が付いた手をきれいに洗うような術倉さんが、彼方先輩から贈られた白いハンカチを部活終わりに使うとは思えません。万が一汚れが落ちていないことに気付かなかったら、油絵の具が布に付いてしまいますからね」
 追い討ちをかけるように、紗清の話は止まらない。
「百歩譲って、使ったとします。ハンカチは所々青くなっていますよね? これは右手人差し指の爪の間の絵の具、つまり今日付いたものでしょう。ハンカチがもし贈られたものなら、切り裂かれたことを相談しに来るより、油絵の具を落とすことを優先させるはずです。そしてその作業をしていたのなら、今日はここへ来る時間はなくなってしまうでしょう。術倉さんがここへ来たのは、下校時刻ぎりぎりですからね。ハンカチの持ち主は、最初から術倉さんというわけです」
 いちいち説明する紗清は、下校時刻を告げるチャイムがすでに鳴ったことをおそらく忘れている。本当はもう帰った方がいいのだが、途中で切り上げようとするより解いた謎を一気に話させる方が結局短い時間で済むことを知っている夕美子は、思い付いた疑問を投げかける。
「刺繍は内側になるように畳まれてたのよね? なら彼方さんは刺繍が見えないはずなのに、『ハートの刺繍がしてある』って言うのはおかしくないかしら?」
「ハンカチが畳まれていなければ、刺繍はちゃんと見えるでしょう? 先輩は見たままを口に出しただけかと」
 紗清はすぐに答えたが、夕美子の頭に再び疑問が浮かぶ。
「というか、術倉さんのハンカチなのに、それを彼方さんが渡すってどういうこと? それに術倉さんは『わざわざありがとうございます』って言って受け取ったし……もう、よく分からないわ」
 そう言ってちらりと美波を見てみたが、この部屋に来た時のようにうつむいていて話す気配はない。夕美子が待たずとも、紗清は口を開く。
「日常のありふれた光景で、そういう行動を取る時があるでしょう? 噂の真相はつまり、術倉さんが落としたハンカチを彼方先輩が拾って渡していたんですよ」
「そんなことだったの」夕美子は思わず姿勢を崩した。「じゃあ、何で相談しに……」
 答える気配のない美波に代わって紗清が言う。
「噂になっている彼方先輩の恋人が自分であると言いたかったからでは? そして、私たちを情報の発信源にしようとしたんでしょう?」
 問いかけると、美波はかすかにうなずいた。
「術倉さんの行動は、大胆にして控え目という性質を持っています。噂が流れてからもハンカチは刺繍を内側にして畳んでいますし、ハンカチが切り裂かれたことを――まあ、これは自分でやったわけですが――誰にも言わずにまず私のところへ来ました。噂の恋人だと主張したいなら、刺繍が見えるようにハンカチを畳んだり、切り裂いたハンカチを友達に見せた方がよっぽど効果があるのにもかかわらず」
 紗清は残りの紅茶を飲み干した。そろそろ話も終わりそうだ。
「昨日、術倉さんが彼方先輩と話したのも偶然ということはないでしょう。わざとハンカチを落とし、それを拾った彼方先輩とほんの少しでも話せれば良かったんだと思います。おそらく先輩がハンカチを拾った時、術倉さんとは物理的な距離があったんでしょう。そして彼方先輩が落とし主を追いかけてハンカチを渡したのなら、術倉さんが受け取る時のお礼に『わざわざ』と付けるのは自然なことだとは思いませんか?」
 ティーカップをソーサーに置く音がやけに大きく聞こえる。
「しかし残念ながら、私たちはここであったことは他言しませんし、第一あなたは彼方先輩の恋人ではないので、噂の流しようがありません。涙声で『どうかお元気で。さようなら』と言うには、必ずしも恋人である必要はないですし」
「あたしが彼方先輩の恋人じゃない? 片想いだって言うの?」
 侮辱と受け取ったのだろう。美波の語気は強かったが、紗清が意に介す様子はない。
「もし恋人同士だとしたら、彼方先輩はあの刺繍の本当の意味を知っているはずです。術倉さん自ら刺繍したのなら、あれはハートではないでしょう?」
 美波の目が、今までで最も開かれた。驚愕といった様子である。
「どういうこと?」夕美子は素直に聞く。
「あの刺繍は、術倉さんと彼方先輩のことですよ。『Heart』のつづりは、二人をくっつけたものかと」
 そう言われても、夕美子にはちんぷんかんぷんだった。
「つづりを『e』と『a』の間で分けると、二つの単語ができます。一つは『He』、『彼』ですね。彼方先輩の字を取っています。そしてもう一つの単語『art』は『美術』です。こちらは術倉さんのフルネームから字を取っています。よく名前でからかわれたそうですから、これを思い付いても不思議ありません。こういうものがあると恋人間での暗号のようなものになりますから、初めて見たような反応の『ハートの刺繍がしてある』という発言をする彼方先輩が、術倉さんと恋人だという可能性は極めて低いと思われます」
 紗清は満足したように口を閉じた。
「……何もかもお見通しってわけ」
 美波の声は先ほどの熱をなくし、投げやりなものだった。
 一呼吸置くと、紗清はこう返す。
「あなたが相談した相手は、仮にも『名探偵』と呼ばれているので」
 美波はハンカチを鞄に仕舞い、立ち上がって扉に向かう。そして扉を開けると、振り返って紗清を睨んだ。
「名探偵さんは謎解きが好きで、恋なんて興味ないんでしょ? だからあたしが恋人じゃないなんて平気な顔して言えるんだ」
「お言葉ですが、私だって恋の一つや二つしますよ?」
 紗清が言い終わるか終わらないかのところで、扉は勢い良く閉められた。一気に“探偵事務所”は静かになる。
「……どうやら傷付けてしまったようですが」
「自業自得でしょう? 気にしないの」
 でも、あそこまではっきり言わなくても良かったとは思うけど。という言葉は胸に仕舞って窓を閉める夕美子だった。言っても直らない癖というものがある。


 二人が帰り支度を終えて“探偵事務所”を出ようとすると、扉の向こうから足音が近付いてきた。ノックをすると、返事も待たずに入室してくる。
「まだ残ってたのか。いつもなら下校時刻にはしっかり帰っているのに、珍しいものだな。しかし、下校時刻は守ってもらわなければならん」
 不躾に入ってきたのは生徒会長の春殿希扇はるどのきせんだった。
「校内の見回りですか? お疲れ様です、閣下」
 紗清がそう言い、夕美子と希扇は互いに会釈した。
「あたしたち、ちょうど帰ろうとしてたのよ?」
「なんと。下校の邪魔をしてしまうとは申し訳ないことを」
 希扇は夕美子に向かって深々と頭を下げた。そして頭を上げ、メガネを押し上げる。
「時に紗清。彼方先輩に関する噂が流れているようなのだが――」
「僭越ながら申し上げます。その件は解決済みですので、そのうち収束するかと」
「……何だと?」希扇は一歩踏み出す。「どういうことか説明したまえ」
「それは、守秘義務がありますから。ねえ、夕美子さん?」
「ええ、そうね」
 “探偵事務所”の二人が顔を見合わせると、希扇は腕を組んでおもしろくなさそうにつぶやく。
「何だ。自分だけ除け者扱いしおって」
「この空間において、閣下は元々部外者です」
「むぅ」
 紗清の素早い切り返しに、反論の言葉が見つからなかったらしい。希扇は腕組みを解くと、“探偵事務所”から廊下に移動した。
「自分は他の場所も見回らなければならんのでな。気を付けて帰るように。では、ごきげんよう」
 去っていく生徒会長の見送りが終わった時だった。
「さっき……」
 突然、夕美子は思い出したように口を開く。
「恋の一つや二つするって言ってたけど、是非一つにとどめておいてほしいものね」
「あれは言葉の綾じゃないですか。なんなら、刺繍入りのハンカチを贈りましょうか?」
 そう言って紗清が手を差し出すので、
「刺繍なんていらないわよ、今さら」
 夕美子はその手を取った。
2009.6.11
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あとがき
 『Heart』の意味がこじつけっぽい? はい、その通りです。私はこじつけ大好きなのでちょいちょい使います。
 安楽椅子探偵っぽい感じにしてあるので、本編中は基本的に紗清と夕美子は“探偵事務所”から出ません。二人に最後のやり取りをさせたいがためにこの問題を考えたと言っても過言ではない。
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