ある寡黙な女の子が転校してしまい、彼女が来津女学園に通うことがなくなると、生徒の間で一つの噂話が広がるようになりました。 それは、切ない恋のお話でした。 切り裂かれたハンカチ(問題編)肌寒い日の放課後のこと。 「まさか 「ありがとうございます。彼方さんというと、手芸部の? 絵の刺繍がうまいと評判ですよね。私でも知っているくらい有名な方です。近々転校されると聞きましたが」 紗清は、すでに適量の砂糖とミルクが入れられた紅茶をふうふうと冷ます。 「もう転校しちゃったわよ。昨日が最後の登校で、今日からはもう来津の乙女じゃないわ。転校したのを知らないってことは、彼方さんの恋人の噂も知らないわね?」 おかっぱ頭を揺らしてうなずく紗清を見ると、夕美子はやれやれとため息をついた。そして立ったまま姿勢を正し、こほんと一つ咳をすると話し始める。 「昨日の下校時刻間際に、彼方さんが誰かにハンカチを贈るところを通りすがりに見たって子がいてね。彼方さんと誰かが、ちょうど白いハンカチに触れていたらしいわ。彼方さんが『ハートの刺繍がしてある』って言うと、もう一人は涙声で『わざわざありがとうございます。どうかお元気で。さようなら』と言ったそうよ。刺繍までは確認できなかったらしいけど、恋人たちの最後の逢瀬にしか見えなかったって。壁が邪魔で相手が誰なのかは分からなかったらしいけど、唯一見えたブラウスの袖にはカフスボタンが光ってたそうよ。これと同じ」 そう言って、夕美子は自分の袖口のカフスボタンを指差した。紗清はティーカップを少し口から遠ざける。 「つまり、カフスボタンをしているのは高等部だけなので、彼方先輩の恋人は高等部の生徒というわけですか。先ほど夕美子さんは目撃者のことを『人』ではなく『子』と言いましたから、その方はおそらく夕美子さんの取り巻きの一人でしょう。ということは、夕美子さんは目撃者から直接聞いたと考えられますから、噂によくある“付け足された部分”はなさそうですね」 言っていないことまで分かってしまうのはいつものことなので、夕美子は今さら驚きはしない。 「離れなければならない愛する人に刺繍をしたハンカチを贈るとは、まさしく美しくも切ない悲恋話ですね」 紗清は紅茶をすすり、夕美子は大きくうなずいた。 そろそろ下校時刻なので帰り支度をしようかという時、“探偵事務所”に来客があった。生徒会長なら追い返そうと思っていた夕美子だったが、どうやら違ったので招き入れることにした。 紗清に相談があるという 美波はお茶に口を付けず、湯飲みを両手で包むようにしている。吹き込む風で湯気が揺れた。爪は短く整えられているが、右手人差し指の爪の間が少し青くなっていた。ブラウスの袖口にはカフスボタンがあり、長袖の肘から手首にかけてしわが寄っている。 「術倉さんは」紗清はスプーンをソーサーに置く。「美術部に所属していますか?」 うつむいていた美波が顔を上げた。目は大きく見開かれている。 「どうして分かったの?」 紗清はティーカップを持ち上げた。 「ブラウスの肘から手首にかけてしわくちゃなのは腕捲りをしていたからだと考えられますが、今日は朝からずっと気温が低いです。もし暑がりなら腕捲りしたままでいいはずですが、あなたは今長袖にしていますし、熱いお茶が入った湯飲みに手を当てています。つまり、あなたは暑がりではありません。腕捲りをしたのは、何か作業をするためということになります。爪の間が青いところがありますが、それは絵の具ですね。右手の人差し指以外はきれいにされているので、そこだけうっかり落とし忘れたのでしょう。それより何より、術倉さんから油っぽい臭い――つまり、油絵の臭いがします。距離が近いとなかなかに強烈です。制服にここまで臭いが染み付いているということは、毎日油絵に囲まれているからでは、と」 それを聞き、夕美子は納得した。どこかで嗅いだことがあると思っていたが、美術室だったのだ。 美波は軽く微笑む。 「油絵を描いてるんだ。よく名前でからかわれたよ。『術倉美波』には『美術』の字が入っているから、美術部なんだって。それにしてもすごいね。名探偵って言われるわけだ」 「さて術倉さん。私に一体何の相談事でしょうか?」 美波が口を閉じてしまう前に、紗清は質問した。美波は一度深呼吸すると鞄を開ける。 「部活が終わって、手に付いた絵の具を落とした後に水で流したの。それで、手を拭こうとハンカチを鞄から出したら」美波は鞄から白い布を引っ張り出した。「こんなことになってて。びっくりしちゃって、誰にも言わずにここに来たんだ」 机に広げられた白い無地の布は、“ハンカチだったもの”だった。右上から左下へ、ハサミのようなもので斜めに切り裂かれており、台形の布が二枚になってしまっている。 「これはひどいわね」と夕美子。 “ハンカチだったもの”には、四つ折の跡が残っていた。横に一直線に山折りの跡、縦の線は上半分が山折り、下半分が谷折りだった。所々青い油絵の具が付着している。そして左下の隅には、赤い糸で『Heart』と刺繍されていた。 それを見た夕美子は言う。 「あなたは彼方さんからハンカチをもらった本人? ええと、その……恋人?」 「噂になってますもんね。はい、そうです。先輩には、もう会うことはないと思いますけど」 美波は一瞬悲しげに目を伏せ、紗清に向き直った。 「ハンカチを見てあたしが彼方先輩の恋人だと知って、先輩を好きな人があたしを憎らしいと思うのは分かる。でも、それでハンカチを切り裂くなんてあんまりだよ。せっかく、彼方先輩がくれたのに……」 「術倉さんは、このハンカチを彼方先輩に渡された時と同じ状態で使っていましたか?」 美波は肯定のうなずきをし、紗清にすがるように言う。 「誰がやったのか、名探偵なら見つけてくれるよね?」 紗清はティーカップを置き、涙ぐむ美波に告げた。 「自作自演は感心できませんね」 下校時刻を告げるチャイムが鳴った。 |
Q. 紗清はどうして美波の自作自演だと気付いたのでしょう? |
2009.6.11 |
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◆ 彼方は絵の刺繍が得意だったようですが、美波のハンカチには……。◆ |