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未来ラブベンチ



「この暑いのにこんな坂登ることになるとはね」
「まったくだ」
「買い出し二人とかあり得ないわ」
「まったくだ」
「荷物落として缶ジュース転がったらって考えると恐ろしい」
「まったくだ」
「暑い。風ない。日陰ない。坂が急。最悪」
「まったくだ」
「……あんたさっきから同じことしか言ってないわね」
「まったくだ」
 あたしは手から力を抜かないように注意しながらため息をついた。
 隣ではちっちゃいのがあたしと同じようにビニール袋を両手に提げている。少し多めに持ってあげると言ったのだけれど、こいつは頑として譲らなかった。体が小さいのをからかったわけではないのに。一言しか話せないのは、相当へばっている証拠だ。
「あそこのベンチまで行ったら一休みしよ」
「……まったくだ」
 今回は坂の途中にあるベンチを見上げて返事をしたから良しとしよう。一歩分あたしより前に出た。
 あたしたちは今、一度転んだら下り坂の終わりも通り越し、惰性でちょっとした坂なら登れるのではないかという急勾配の中間地点にいた。これが舗装された道路なのがまた驚きだ。
 とりあえずの目標であるベンチは中間地点よりも少し上に位置し、あたしたちから見て右側に設置されている。登り専用の休憩所としか思えなかった。
 そしてなぜか『未来ラブベンチ』と呼ばれているらしい。あたしたちは普段この道を通らないからよく分からないのだけれど。未来って何よ。
 額から汗が伝い、毛先にも雫ができている。少し前を歩く背中を見る限り、あたしのシャツもブラが透けて見えてしまっているのだろう。水分を無駄にしないために、ため息を吐くよりも唾を飲み込む方を選んだ。汗を拭こうにも、両手に提げた荷物が重くて、腕を持ち上げようという気さえ起こらない。スカートだというのに、無風とアスファルトの熱で痛い。熱いではなく、痛い。
「つ、着いた……」
 坂の途中にあるベンチなので、当然傾いている。だから座るには、まずしがみつかなくてはならない。誰に教えられたわけでもないのに、二人してベンチに掴まっていた。そうしないと折角登ってきたところを転がり落ちてしまいそうだった。
 木製のベンチは、日陰がないせいで思う存分日光浴できたことだろう。掴んでいるこちらとしては手の平が焼けてしまいそうだ。背もたれがほど良い角度をしている。ありがたいことに、肘掛けが腰掛け部分とつながっていた。気力を振り絞って荷物を放り込む。缶同士がぶつかる鈍い音が響いた。なんとか体が軽くなったので背筋を伸ばす。
 それにしても、ラブベンチとは二人座るのがやっとくらいの幅ではなかっただろうか。カップルで座るものだったはず。目の前のベンチは、二人分の荷物を端に置いても、大人三人は軽く座れる余裕があった。
 まあ、そんなことは考えても仕方がない。ベンチは全てラブベンチだとか言う人がいたのかもしれないくらいに思っておこう。今はひとまず休憩だ。あたしは缶ジュースの詰まったビニール袋の横に座り、もう一人は対極に腰を下ろして肘掛けに掴まった。逆にすれば良かったかと思ったけれど、やはり頑として譲らないだろうから提案は自己却下した。
 日差しが強く、休んでいるような気がしない。日光浴などではなく、直射日光に攻撃されているのだ。
 しばらくすると、うめき声が聞こえてきた。あたしよりちょっと上の座標にいる人物のものに違いなかった。
「辛い、ダメだ。もう限界……」
 ここに来て初めて『まったくだ』以外の言葉を聞いた。
 ふと見上げると、声の主は肘掛けから手を離していた。つまりそれは重力に従うということで、ゆっくりだけれど確実にあたしに近付いてきていた。まったく、滑り台のような傾斜だ。スカートから伸びた足がベンチとの摩擦を発生させる。そのせいで少し体勢が崩れたのだけれど、最終的にはあたしの体が受け止めた。座ったまま動けないのだから仕方がない。
 加わった重さで缶が体に刺さらないように、あたしは左腕を肘掛けに突っ張る。
「やっぱりクッションがいいんだなあ」
「ベンチから落とすわよ」
 あたしが言ったことを聞いていないのか、あたしをストッパーにしてそのまま全体重を預けてくる。肩に頭が乗せられた。密着する体重は、それでも軽かった。暑いのに熱いことをしてくる奴だ。おかげで汗が止まりそうにない。唾を嚥下する。
 でも、まあ。
「『未来』はともかく、これが『ラブベンチ』って呼ばれる理由は分かった気がするわ」
「まったくだ」
 自然と密着できる。
「喉渇かない? あたしすごい渇いた。何か飲む?」
「まったくだ」
 あたしは右肩を上下させて、置かれていた頭を持ち上げさせた。飲み物を取るためなのに、そんな不服そうな顔をされても困る。大体、あたしの方がよっぽど辛い体勢だ。左腕に自分以外の体重までもかかっているのだから。
 ビニール袋に手を突っ込んで適当に取り出す。桃のジュースだった。差し出すと素直に受け取り、あたしが自分用のジュースを手に取るまでに、“開ける”“飲む”という一連の音が聞こえてきた。
「ちょっと。あたしに合わせるくらいしなさいよ」
 眉根を寄せて見ると、ちょうど缶を逆さにしていて喉が動いたところだった。デフォルメされた桃の逆さのイラストが目に入って、あたしはまた唾を嚥下した。
「はい」
 なぜか飲みかけのジュースを突き付けられる。
「いや、いらないし。自分の分あるから」
「わざわざ新しいの開けることないよ」
 右手に持っていたオレンジジュースを取り上げられてしまった。そういえば相手には自由な手があるのだった。
「でもあんたこれ、あたしが口付けちゃっていいわけ?」
 てっきり、別に気にしないとか言うと思っていたのだけれど。
「大事な言葉を飲み込んじゃわないなら」
 どういうことでしょうか。
 思わず唾を嚥下する。
「さっきからそうやって言葉を飲み込んじゃうんだ。言えばいいのに」
 なんだ。やっぱりバレていたのか。ついさっきまで同じことしか言わなかったくせに、あたしには言えと。まったく、いいご身分である。
「じゃあ、言わせてもらうけど……」
 右肩の向こうにいる相手の目を見つめる。こういう時くらい、少しは自分で体重を支えてほしいものだ。
「好きよ」
「飲んで良し」
 ちょっと待て。
「返事は?」
 すると、再び桃のジュースが目の前に出される。飲んで良し。
 これに口を付けて飲んで良し
 あたしは缶を受け取って、残りを一気に飲み干した。もう嚥下する言葉はなかった。
 いつの間にか、肩に頭を置かれていた。すぐに出発するのは無理そうだ。ふと、目が合う。口を開いたのはあっちだった。
「座ってから結ばれるから『未来』ラブベンチなんじゃないかな」
 桃の甘ったるい香りがする。
 今度はあたしが言う番だった。
「まったくだわ」
2010.5.9
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あとがき
 短い話が書けただけで満足。たとえベンチがうまく描けなかったとしても。
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