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「んっ……」
 先生とキスするのは初めてじゃないけど、
「……あ」
 先生の部屋に来るのと、
「いいわよね?」
 押し倒されるのは初めて。
 ネクタイを解く、ブラウスのボタンを外す、先生の手つきはなんだか慣れていて。
 ――チクタク
 ブラウスを脱がされて、ブラも外される。胸を隠すものは腕だけになったけど、先生に押さえられていて動かせない。まぁ隠す理由はないけど……恥ずかしい。
 ――チクタクチクタク
 静かな部屋の中。ベッドのシーツや先生の服の衣擦れ、吐息。あたしを呼ぶ声。
 ――チクタクチクタクチクタク
 先生があたしを呼ぶ声が、
 ――チクタクチクタクチクタクチクタクチクタクチクタクチクタクチクタク
 耳障りな音のせいで聞こえない。


チクタクのコペ転



「ねぇ先生……」
 先生の唇が、舌が、あたしの肌から離れていく。
「何?」
 覗き込んでくる先生の上気した顔とか、熱を帯びた目元がすごく色っぽくて、あたしは何も言えずに見とれてしまう。
「嫌……だった?」
 先生の眉が下がる。あたしは首を横に振り、ベッド脇に視線を流す。
「あれ、離れたとこに移動してくれない? それか電池抜いて」
「目覚まし時計?」
 うなずいて見せる。
「いいけど……どうして?」
「あたし、時計の音が」
 ――チクタク
「嫌いだから」
 ――チクタクチクタク
 アナログの、秒針が音をたてて動くその目覚まし時計を、早くあたしから遠ざけて。
「どうして嫌いなの?」
 先生の指が頬に触れる。まるで伝った涙を拭き取るように。
「怖いの。だってあれは」
 ――チクタクチクタクチクタク
「死に近付いてる音だから」
 ――チクタクチクタクチクタクチクタク
 正確な秒針は、一秒ごとに死に近付くことを知らせてくる。
 先生の部屋は静か。無機質な音がやんでは響く。先生が時計を移動しようとしないから、あたしは体を丸めて両手で耳を塞いだ。
 ――チク……チク……タクチク……
 目を閉じてみても、音は完全に消えてくれない。
 ――チクタクチクタク
「……!?」
 突然、音が鮮明になる。
「なるほど。死に近付いてる音、ね」
 先生があたしの手首をベッドに押さえつけていた。と思ったら、先生はあたしの横に仰向けになった。ベッドが軋む音がする。
 あたしが隣を見ると、
「来て」
 上を向いたままで先生は言った。
 先生の腰に跨って見下ろす。
「脱がせて?」
 甘いささやき声は、あの一定間隔の音を一瞬かき消した。
 ブラウスのボタンを外してゆっくり脱がせる。体を浮かせてもらってブラをなんとか外すと、大きくて形のいい胸が露わになった。その柔らかそうな膨らみに触ろうとした時、伸びてきた先生の腕が首に絡み付いて、あたしは抵抗することもできず先生の胸に沈む。
「私のこの鼓動は嫌い?」
 ――ドキドキ
 先生の胸に耳を置いているから、よく聞こえる。
「好きだよ」
 だから先生に抱き締められると安心する。
 ――チクタク
 先生に触れていない方の耳は余計な音を拾ってしまうから手で塞ごうとするのに、先生はその手首を掴んで制止する。
「嫌じゃないの? 怖くない?」
 先生は髪を梳くように頭をなでてくる。
「怖くないよ。だって先生の音だもん」
「私が棺桶に近付いてる音なのに?」


 ――チクタクチクタクチクドキドキドキドキドキドキドキドキ


「どっちも同じ意味の音。時計を遠くにやるなら、私もあなたから離れなきゃ」
「時計と先生は違うよ!」
 あたしは先生の両側に手を置いて体を起こす。
「同じよ。時計の電池を抜くなら、私は心臓を止めないと」
「それじゃ先生が死んじゃう。先生の心臓の音は好きだから、止めなくていいよ」
「あのね、時計の音も心臓の音も、死に近付いてる音かもしれない。でもそれってあなたが言うように怖い音だわ。それなら」
 先生はあたしの頬に手を伸ばす。
「今を確かめるための音。そう思うのはどうかしら?」
 首を傾げる。先生の手はついてこなかった。
「だって時計の音も心臓の音も、先を知るための音じゃないでしょう? それにね、時計の音って素敵なのよ? 私たちの鼓動の速さはそれぞれ違うけど、私たちが聞いてる時計の音の速さは同じなんだから」
 先生は微笑みながら目を瞑った。
「耳を澄ませて? あれは、私たちが一緒にいることを証明してくれる音」
 あたしはゆっくりと目を閉じる。
 ――チクタクチクタク
 先生とあたしは、同じ時間同じ速度同じタイミングでこの音を聞いている。
 時計の音は、二人をつなぐ音。今を確かめるための、音。
「ね? 怖くなくなったでしょう?」
 下から先生の声がして、あたしは目を開く。
「うん」
 確かに時計の音は怖くなくなったけど、あたしはやっぱり先生の音の方が好き。だから先生の胸に再び頭を寄せる。
 ――ドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキドキ
「先生の鼓動、すごい速い」
「当たり前でしょう?」
 先生の腕が背中に絡み付いてきた。お互いの体がより密着する。
「あなたのことを抱き締めてるんだもの」


 ――ドクン


「それじゃあ、さっきの続きね」
 あたしはやっぱり抵抗する間もなく、気が付けば先生と位置が入れ替わっていた。
 先生の指が、唇が、舌が、あたしの表面を這う。
「あのね先生」
「……ん?」
 言葉を紡ぐ場所はあたしから離さずに、胸から下へゆっくり移動していく。
「あたしの部屋の時計、デジタルなんだけどね」
 スカートを脱がしにかかる、衣擦れの音。慣れた手つき。
「先生と同じ時計にする」
 一緒にいない時も、同じ音を感じられるから。
 ――チクタクチクタク
「そう」
 内ももに手を滑らせて、先生は言葉を続けた。
「でも今は……」
 覗き込んでくる先生は、あたしの耳元でささやく。
「私たちの音だけ聞いていて」
 ――ドクンッ
 首に一度、鎖骨に長く一度、胸では舌を使って、額に二度、目はついばむように一度、頬は通り越して、唇には一番深く内側まであたしを求めてくる。
 漏れるお互いの吐息、ベッドのシーツと先生のスカートの衣擦れ、あたしの名を呼ぶ、
「愛してるわ」
 触ったら火傷してしまいそうな先生の声。
 さっきから忙しないあたしの音は、


 ――ドクンッドクンッ


 ちゃんと先生に届いてるかな?
2008.12.3
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あとがき
 この話を書く時に一番悩んだこと=ブラをフロントホックにするか否か。
 題名の『コペ転』とは『コペルニクス的転回』の略。カントの言葉ですが、ここでは『ものの考え方や見方が正反対に変わる』という方の意味で使っています。
 挿絵について。長針と短針は棺桶。赤いのは秒針で、その動きは死神の鎌のイメージ。どんなに秒針が動いても刃は後をついてくるだけなので、結局この鎌は何も切れないわけです。
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