あたしは会長が嫌いすごく月並みな表現だけど、あたしは今、すごくドキドキしている。その理由もまた単純で、目の前に 昨日、いきなり湊先輩に告白された。つまり今は、あたしが先輩と付き合うようになってから初めての放課後である。 あたしがこの空き教室に来るようになって学習したことは、湊先輩は滅多に動かないということだった。現在も机に頬杖を突いてフリーズしている。でもそれは、昨日までとは違う静止図で。あたしの心臓が高鳴っている原因の一つとも考えられる。 どうやら湊先輩は、眠っているようなのだ。 ということで。確かめてみることにする。あたしは特等席から腰を上げ、先輩に近付く。耳を澄ましてみれば、気持ち良さそうな寝息が聞こえてくる。ちゃんと目も瞑っているようだし。ちゃんとメガネにヒビも入っているし……ってこれは関係なかった。 果たしてあたしが来る前に寝てしまったのか、来た後に眠り始めたのか。まぁそんなことはどうでもいいんだけど。 「先輩?」 返事は来ない。反応もない。本当に寝てる……? 気付くとあたしの視線は、湊先輩の唇をなぞっていた。『恋人同士』が頭をよぎる。そう。湊先輩とあたしの関係は昨日までと違うのだ。 少し開いたその唇に、キスをしてしまおうか――そう考えてしまったら、心臓の鼓動はさっきと比べものにならないほど速く強く。 この状況を考えてみよう。ここは空き教室。誰も来ない。鍵がかけてあるから誰も入って来られないし、暗幕のカーテンで外からじゃ見えない。つまりここは密室だ。 あたしは生唾を飲んだ。今ならできるかもしれない……。よく考えたら、これがファーストキスになるんだ。やっぱり最初は、湊先輩からしてほしいかも。でも、湊先輩って自分からしそうにないし。 「 「は、はい!!」 思わず返事をしてしまったが、先輩はまた寝息に。どうやら寝言だったらしい。心臓に悪いです先輩。ん? 名前を呼ぶってことは―― 「夢にあたしが出てるんですか?」 当然だけど、先輩は反応しない。寝言で会話が成立するのもいけないんだけど。 「先輩。あたし、先輩とその……キス……したいんですけど……」 寝てるから言えること。起きてる時じゃ恥ずかしくて。だからあたしは一方的に言葉を投げかける。 「こんなこと言うなんて、あたしもう我慢できないんだと思います。寝てる時にごめんなさい。起きたらちゃんと言いますから。もう少しだけ、眠っててください……」 あたしは先輩の机に手を置いて、顔を近付けて目を閉じた。 ――――ガタガタ! 予想外の音に驚いて、先輩に触れる前に顔を離してしまった。もう少しだったのに。 確かあれはドアをノックする音……じゃなくて、鍵がかかっていないだろうと思ったドアを普通に開けようとした音だ。そう思ってこの空き教室に挑むのは、あたしが知ってる限り一人しかいない。冷や汗を拭いながら、ドアの鍵を外す。 「こ、こんにちは」 あぁ……やっぱり。あたしが挨拶すると、来訪者は片手を軽く挙げて応えた。 「まさか鍵かけてるとは思わなかったわ」 なんてタイミングで来てくれるんだ生徒会長め! あたしは昨日の放課後に初めて会長とちゃんとした会話を交わした。クラスにいる時とは違って本当のあたし――無表情のままで。だから今も、無理矢理笑顔を作ったりしないのだ。 「あら?」会長は湊先輩を見てつぶやいた。「珍しいわね。湊が寝てるなんて」 さすがは幼なじみといったところか。暗い教室に座る湊先輩の後ろ姿を見ただけで眠っていると分かってしまうのだから。会長が歩を進めたので、あたしもそれに倣う。後ろ髪をシンプルなヘアクリップできれいにアップしているのを見ると、きっちりとした性格なんだろうと予想がつく。 あぁ。何か言った方がいいのかな? 「珍しいんですか?」 「吹越さんがここに来るようになってから、湊が寝てるとこ見たことある?」 あたしは首を横に振る。一週間くらいしか一緒にいたことないけど、眠っているところは見たことがない。でもそれって、一週間くらいで分かることなんだろうか。 「疲れてたんでしょうか?」 「そうねぇ……」会長は湊先輩の横に着いた。「その……こ、告白したから」 会長の口調は、何か言うのをはばかっているようで、たぶんその単語は『告白』だ。頬に右手を当てて眉間にしわを寄せた。あたしが考えるに、会長には湊先輩とあたしのような関係に耐性がないんじゃないだろうか。現実を受け止められていない節がある。昨日だってそうだ。湊先輩が告白した時、相手は女の子だと注意していた。動揺したようにフラフラしちゃってさ。 まぁでも。別に会長に認めてもらわなくても。あたし、あんまりこの人のこと好きじゃないんだ。いつも湊先輩と一緒にいるから。 「……今、時間ある?」 突然何を言い出すのかと会長に目をやると、頬に当てていた手が顎に移っていた。 「時間はありますよ。暇人ですから」 そう返すと、会長は積み上がった椅子の中から一つを引き抜いて(きっちりとした性格ではないかも)、鞄は左肩に掛けたまま座った。あたしの特等席の正面に。会長が手で促すから、あたしはいつもの場所に腰を下ろす。なんだか会長ペースだ。 「これから大事な話をするわ」 トーンがいきなり低くなったので、何を言われるのか少し怖くなった。あたしは居住まいを正す。まさか今になって湊先輩と付き合うのを反対するつもりじゃないですよね? 「これから湊と付き合っていくつもりなら……」 つもりじゃないです。付き合っていくんです。 「覚えててほしいことがあるの。それで、絶対に忘れないで」 「はい……?」 つまり、だ。湊先輩と付き合うに当たっての注意事項的なことをご親切に教えていただけるそうだ。当の本人が眠ってるからちょうどいいと言って。会長は心配性なのか過保護なのか。それとも、あたしのことが嫌いなのか? あんまり入って来てほしくないんだけどな。 「とにかくまず最初に言いたいことは、湊と付き合うには忍耐が必要ってこと。昨日も言ったけど」 あたしの気持ちも知らずに、会長の説明は続く。 「何で忍耐が必要かってーと、湊はちょっとばかし変わってるから」 湊先輩が変わっているのは一緒に放課後を過ごした一週間で知っている。ちょっとじゃなくてだいぶ変わってることも。昨日だって会長に同じことを言われた時、あたしは「承知してます」と返事をしたはずだ。それなのにまた同じ説明をするのかこの人は。 「まず、名詞忘れがひどい」 会長は腕を組んで、一度軽めのため息をついた。 「固有名詞も普通名詞もしょっちゅう忘れるの。人の名前は一度聞いたくらいじゃ思い出せないわね。私の本名もあだ名の『シャチ』でさえも忘れるんだから。ひどいでしょ? ちなみに、湊が絶対に忘れない名詞は『飴』だけね」 何だろう……。 「あと超マイペース。でも大抵は一人で何かやってる感じだから、あなたには迷惑かからないとは思うけど」 この感じは何だろう……。 「いつでも真剣だから、どんな変なことをしてるように見えてもバカにしないで、こう……温かく見守ってあげてくれるかな」 胸の奥で生まれてくる、このモヤモヤした感じは一体何だろう……。 「知ってると思うけど、湊の大好物は飴ね。何か行き詰まった時は飴あげれば大体解決するわ。でも名詞を思い出す薬にはならないから注意してね」 忘れてた感情……? 「湊は人があんまりいない場所が好きなの。こことか屋上とか。人多いと酔っちゃうみたいで。吹越さんはつけてないから大丈夫だと思うけど、香水とかでも酔うから気を付けてね。あの子、五感がすごい敏感だから。……視力は弱いけど」 湊先輩と知り合う前の感情に似てる……。無理に表情を作ってる時みたいな。 「じゃあ最後。これ一番重要なことなんだけど」 そっか……。あたし、苛ついてるんだ。 「湊の要求には極力応えてあげて。湊の『いつも』を拒絶しないで」 苛ついてる? 何に? どうして? 会長の話を聞いているだけなのに、どうしてこんなにイライラしてるの? 「じゃないと、あの子は混乱しちゃうから」 会長があたしに湊先輩との付き合い方を強制してくるから? たぶん違う。 「吹越さん、聞いてる?」 何でだろう。苛立ちが治まらない。 「はい。聞いてます。湊先輩はそれで何で混乱するんですか?」 会長は組んでいた腕を解いて、右手を頬に当てる。 「トラウマ的な?」 その言葉に、あたしの苛立ちが大きくなった。理由は分からない。 「原因は何ですか? もし良かったら聞かせてください」 「……ほんの少しだけ長くなるけど、いい?」 あたしはうなずいて見せる。どうしてか、やっぱりイライラが強くなる。 頬に置いてあった手はおでこに移動していた。会長はおもむろに口を開く。 「湊は幼稚園の頃から少し変わってはいたけど、今ほど極端じゃなかったわ。小三のあの日までは」 幼稚園の頃からの付き合いってわけだ。なるほど。 「下校の時なんだけどね。小学校の帰りって同じ学年の子と下校班組まされるじゃない? 私と湊は近所だから同じ班だったの。あと三人メンバーがいて」 小さい頃の先輩を知るチャンスだ。教えてくれるのが会長というのが少し癪だけど、静かに話を聞くことにする。さっきまでは話が右から左だったから。 「その日もちゃんと五人で下校してたのよ。住宅地を真っ直ぐ行くのが最短の帰り道で、いつもその道を通ってたわ。でもその日、湊は住宅地の途中で右に行くって言い出したのよ。曲がる必要はないのに。確かに右に行っても帰れるんだけど、他の三人が渋ったわけ。それでも湊はいつもの道を嫌がって。あんまりうるさいもんだから他三名はいつもの道で帰ってもらって、私は湊についていくことにしたの。あの頃はすごい気分屋だったから、しょうがないって思ったわ」 会長は顎に手の平を付けてため息をついた。思うに、その気分屋に随分と振り回されたことを色々と思い出しているんじゃないだろうか。 「右に曲がって細い路地を歩いてたら、正面から車が来てね……」 「事故ったんですか!?」 「ううん。ちゃんと車は避けたわよ」 トラウマって言うから事故かと思ったんだけど。話は最後まで聞かないとね。 「でも、私の避け方がまずかったのよね。足元をよく見ないで道の端に寄ったら、地面が脆くて。バランス崩した私はブロック塀に頭ぶつけて、右足だけ側溝に落ちちゃったのよ。そしたら脆くなってたコンクリートの蓋も落ちてきたのよね。私の足の上に」 ヒィィィィィ!! 苛立っていたことを忘れるくらいリアルに痛い! それでも怪我した本人は笑顔で。 「右足首のじん帯が伸びて、すねは骨折してた。あと、おでこがパックリ割れて流血。切れやすいから大したことないんだけどね」 笑いながら言うこっちゃないでしょうに……。 「湊は私を見て涙流してて、そのすぐ後に気を失ったわ」 じゃあ会長は湊先輩を泣かせたわけだ。苛立ち再び。 「簡単に言うと、私が怪我したのは自分が『いつも』と違うことをしたせいだと思ってるのよ湊は。私の不注意で私が怪我しただけのことなのに」 だから先輩の『いつも』を拒絶してはいけない、か。 「湊が拒否をしたりされたりする。もしくは違うことをすると、その相手に悪いことが起きる。湊の深層心理は『いつもどおり』が安全って認識してるんじゃない?」 「深層心理?」 「湊自身は覚えてないのよ。流血映像が相当衝撃的だったんでしょうね」 そりゃ親友が頭から血を流してたら……ちょっと待って? よく知らないけど、それって記憶が飛んでしまうほどショックなことなんだろうか。気絶してしまったんだからショックだったことは確かだと思う。問題は何にショックを受けたのかだ。会長は流血シーンを見たからだと言った。それは半分正解で、半分不正解だと思う。 要は、『どんな怪我をしたのか』ではなく、『誰が怪我をしたのか』なのだ。たぶん湊先輩は、自分が大怪我をしてもトラウマまではならなかったんじゃないだろうか。いや、分かんないけど。それだけ先輩にとって会長が大切な存在ということだ。トラウマになるほどの。 ……この苛つき、会長に対してなのかな? 会長に嫉妬してる? 「何か他に聞きたいことある? あ、でも湊の恋愛に関しては助言できないわ。恭子ちゃんが初恋だから、湊がどう恋をするのか私には分からないもの」 そうだ。あたしと先輩は恋人同士。会長に嫉妬する必要なんかない。 「えーと。それじゃ一つだけ。空き教室って鍵がかかってるじゃないですか。湊先輩はヘアピンで鍵を開けちゃいますよね? 何でそんなことができるんですか?」 普通に生活してたら、ピッキング能力なんて開花しないと思う。湊先輩が変わってるのは重々承知だけど。 「あー。それも少し長くなる」 会長は首に手を当てた。手を首から上のどこかに当てるのは癖なのか? 「小四の掃除の時、私たち班が一緒でね」 また一緒ですか。 「腐れ縁ですね」 「そうとも言うわね」 なんと。皮肉が通じてない。……当たり前か。 「その日は音楽室の掃除をしてたの。掃除を終えて、あとは適当に準備室の整理をするだけだったから、他の班員には先に帰っていいよって言ったのよ。そしたら湊だけ手伝うって残ってね」 湊先輩、いい人だ。 「二人で準備室の整理したからすぐに終わったんだけど、音楽室に出るためのドアが閉まってるわけ。私は開けっ放しにしといたのに」 「閉まってるとダメなんですか?」 会長は首に手を当てたままうなずいた。 「うちの小学校の音楽準備室ってね、外からは問題なく開けられるんだけど、中からだと鍵がかかってなくても開けられないのよ。七不思議にもなってて。湊もそれを知ってるはずなんだけど、『開けたら閉める』って習慣が身に付いちゃってるから」 「つまり、閉じこめられたんですね。でも何で開かないんですか?」 あたしがそう聞くと、会長は一瞬の間を置いた。 「準備室のちょうど真下にはお墓があったっていう噂がね」 ここに来て怪談話ですか。 「私もまだ子供だったから、そういうの怖くて。班の子帰っちゃったから開けてもらえないし。今考えれば窓開けて叫べば良かったんだけど、恐怖心で思い付かなくてね。湊と一緒に部屋の隅で体育座りしてたわ。私は半泣き状態で」 とか言いながら笑っている会長。そろそろ核心に迫る感じですか? イライラが募ってきてるんですけど。 「帰って来ないのを心配した班の子が見に来てくれて脱出できたんだけど。その翌日、いきなり湊が言い出したのよ。『シャチが閉じこめられてもすぐに助け出せるように、鍵を開ける技を身に付けることにする』って。なんかこう……頭の中で色々変換されたんだと思うのよね。あれは鍵のせいじゃないし、鍵ならあの時私が持ってたし。それに、ホントは建て付けが悪いだけって話」 会長はどんだけ湊先輩に大切に思われてるんだって話。 「それでいつの間にか、学校とかの鍵はヘアピンで開けられるようになってたわ。恐ろしい子よね」 と、会長は湊先輩に目を向ける。先輩はさっきと変わらないリズムで寝息をたてている。ベストの襟ぐりにはいつものヘアピン。そんな歴史があったとは。 会長の話が終わった時、あたしは苛立ちの原因が少し分かったような気がした。だって、今の湊先輩の習性は会長でできあがっているのだ。会長は湊先輩にとって特別な存在というのが分かる。二人は幼なじみで、当然だけど会長はあたしなんかよりもずっと湊先輩のことを知っていて、あたしはそれが悔しいんだ。 「実はね」 再び会長が口を開いた。その口はまたあたしを苛立たせるつもりか。湊先輩にどれだけ好かれているか語るつもりか。 「吹越さんに期待しちゃってるの私。『いつも』を拒絶しないでって言ったけど、たまに否定してくれるんじゃないかって」 「……え?」 予想外だった。 「ちょっと甘やかしすぎたと思ってるの。湊の言うこと、全部やってあげてきたから。湊が『いつも』から離れて告白した吹越さんなら、もしかしたら何かを拒否しても混乱しないかもと思って」 一気に―― 「私がいきなり湊の言うことを拒否したら、今までずっと拒否しなかった分、相当混乱しちゃうからね」 一気に目が覚めた。正気に戻った。あたしは何を苛立ってたんだ。会長は―― 湊先輩もあたしも傷付かないように説明してくれていただけなのに。 それをあたしは。自分のことだけ考えて。 「ごめんなさい!」 あたしは立ち上がって、深々と頭を下げていた。 「え? 何? あ、別に無理して拒否しなくていいのよ? 湊のこと」 「そうじゃないんです。あたし、会長が湊先輩のこと教えてくれてる時、勝手に苛ついてました。会長が湊先輩のことたくさん知ってるのが悔しくて。自分のことしか考えてなくて、それで――」 「はい、おしまい」 声にかぶって三回、手を叩く音が聞こえた。あたしは顔を上げる。 「要するに、湊のことが大好きってことでしょ? 謝ることないじゃない。私は吹越さんに嫌な思いさせられた覚えないもの。それに、この流れで行くと謝るのは私の方ね。ごめんなさい吹越さん。辛い思いさせちゃって」 わざわざ立ち上がって頭を下げている。こんないい人に苛ついてたなんて本当に申し訳ない。 「辛い思いなんて……」 そう言うと、会長の右手があたしの頬に伸びてきた。あったかい……。 「泣きそうな顔、してるのよ?」 ――っ! ここにもいたのか。あたしの無表情から心を見抜いてしまう人が。 「吹越さんはいい子だね。湊が惚れるのも分かるかも」 会長はあたしの頭をよしよしとなでてくれたけど、少し恥ずかしくて会長の顔を見ることができなかった。 分かったことが一つ。苛ついてたのは会長に対してじゃなく自分自身に対してで、その感情は嫉妬じゃなくて――劣等感だったってこと。 「湊先輩の『いつも』を拒否云々の件ですが」 落ち着きを取り戻して湊先輩のトラウマからのくだりを思い出して確認した後、あたしは会長に話しかけた。 「『いつも』のトラウマがあるにもかかわらず、湊先輩は鍵開けの技を取得しました。身に付けようと思って訓練してた当初は『いつも』とは違うことですよね? それと、あたしに告白したのも『いつも』と違います。ということは、湊先輩の『いつも』は、完璧とは言えないんじゃないでしょうか。もしくは例外があると言えます」 あたしは一本指を立てる。 「なるほど?」会長は優しく微笑んでうなずく。 「つまり、トラウマと行動が矛盾してるわけです。思うに、あたしはもちろん会長も、時々なら湊先輩の『いつも』を拒否しても大丈夫なんじゃないでしょうか」 どうでしょう会長。 「そうね。でも私は、今までどおり拒否しないでおくわ」 「どうしてですか?」 「だって……」 会長は湊先輩をチラッと見て、あたしへと視線を戻す。 「吹越さんは、湊の『ただ一人の特別』になりたいんでしょ?」 何でそこまで見抜いてるんですかっ!? あれ? ちょっと待て。すぐそんなことが言えるということはもしかして。 「会長。もしかして自分も『いつも』を拒否できるって、とうの昔に気付いてたんじゃないですか?」 あたし熱弁しちゃったけど。 「私が? まさか。言われて初めて気付いたわよ。吹越さん頭いいのね」 嘘! 絶対嘘! この人絶対に気付いてたっ! もう恥ずかしいったらない。何で気付いてたって言わないんだろ。 「それくらい頭がいいなら、湊とも上手に付き合っていけると思うわよ」 あぁ……そっか。たぶんあたしを立ててくれてるんだ。大人だなぁ。 「じゃあ湊を起こして帰ろっか。はい、起こしてー」 あたしは会長に背中を押され、眠っている湊先輩の真横に辿り着く。あたし、会長を超えられる気がしない。 「あの、どうやって起こせば?」 思えばあたし、自分から先輩に触ったことがない。 「普通に。揺するとか、肩を叩くとか」 アドバイスどおりにやってみる。まず肩を叩いて名前を呼ぶ……起きない。体を揺するために掴んだ腕は想像以上に細くて、色々な意味でどきりとした。で、結局起きない。大きめの声で呼びかけても、気持ちよさそうに眠り続ける。 「しょうがない。私に任せて」会長は歩み出る。 教室に破裂音が響いた。響き渡った。 振り上げた会長の手が湊先輩の脳天にクリーンヒットした……のだと思う。動きが速すぎてよく見えなかったけど、湊先輩の顔面が机に密着してるからたぶんそう。音を聞く限りすごい痛いはず。先輩大丈夫かな。メガネとか。 「うぅ……」 湊先輩が呻いてるっ! 「おはよう湊」 会長が優しくて爽やかな姉の微笑みで挨拶していらっしゃるっ! 「……………………おはようシャチ」 顔を上げた湊先輩だけど、メガネがずれてます。 「吹越さんには?」 そう言いながら会長は、ずれたメガネを自然に直した。先輩は口が半開きのまま顔を動かしてあたしの方を向く。まぶたは重そうだ。 「おはよう恭子」 「お、おはようございます……」 「さて。帰るわよー」 すでに会長は湊先輩の鞄を持ってドアの前に立っていた。あたし、会長を超えられる気が全くしない! ゆらゆら揺れながら、湊先輩は立ち上がった。猫背でいくらか本当の身長より低くなっている。見上げるあたしとしてはどっちでも同じことなんだけど。 「……はい」 先輩の手に飴が乗っている。これは『いつも』だけど、拒否する理由はないので快くそれを受け取る。 「恭子」 起き抜けで普段より低くなった声が、あたしの耳をくすぐった。とか余裕かましてる場合じゃなかった。先輩の顔がすぐそこに来ていて、あたしの心拍数は一気に跳ね上がる。 「何かあった? 顔つきが昨日までと違う」 湊先輩にはそんなに変わって見えるのかあたしの顔は。 「ありましたよ。湊先輩が寝てる間に会長と色々お話しまして、少しレベルアップした感じです。強くなったかもしれません。たぶん」 「いい表情になってる」 そう言って、あたしの頭をよしよしする。会長にされた時とは違って顔が段々熱くなる。目の前にある先輩の顔を見ていると、やっぱりあたしは自然と唇に目が行くらしい。そういえば、キスしようと思ったら会長が来たんだったなぁ……? 今さら気付いたけど、外から見えないんだからそのまま続行するんだった! あたし相当のバカ……。 廊下に出て、背後で湊先輩が例の技を駆使している音を聞きながら、あたしはささやき声で会長に言う。 「あたしのこと『恭子』って呼んでください。是非」 「やっと私と仲良くなる気になったの?」 笑いながらの皮肉は結構心に来ますよ会長。 「いや決して仲良くなりたくないと思っていたわけじゃなくてですね……」 少し気に入らないとは思ってましたけど……。 「そう? 私はてっきり嫌われてるのかと思ってたわ」 バレてますね完全に! 「まさか。そんなことは。会長には尊敬の念を抱いてますよ」 これは本当。あたしの会長に対する思いは数十分前と百八十度変わっている。湊先輩の起こし方を見て、怒らせちゃいけなさそうな人物だとも思っている。 「大丈夫よ。湊はあなたのことが大好きだから。昨日初めて名前聞いたのに、ちゃんと覚えてたでしょ?」 そっか。湊先輩は名前をよく忘れる人だった。でも、起きてすぐに名前を呼んでくれたし、寝言でも『恭子』って言ってくれた。あたし……ちゃんと先輩に好かれてるんだ。 「……でも、突然何です?」 あたしが聞くと、会長はにこりとした。 「いらない不安は取り除いてあげようと思って」 証拠を示してあたしに説明した、と。会長は人間ができすぎてるんじゃないだろうか。 「私も二人の関係に早く慣れるように努力するわ」 会長はそう言って、首に手を当てた。 「もう慣れてるように見えますよ?」 あたしと湊先輩の関係に口ごもる様子が見られなくなっていたから。あたしと話している間に、耐性が付いたんだろうか。 「じゃあ恭子ちゃんのおかげだ」 会長に下の名前で呼ばれただけで、勝手に苛立っていた感情がどこかへ飛んでいった。 あたしたち、当面はライバルということで。 |
2007.5.26 |
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書いてたら段々恭子が卑屈に……。気持ちだけが先走っている感が否めません。付き合った翌日にはもうキスしたいとは我慢の足りない子です(笑)勝手にライバルにしてるしね。 恭子、湊よりシャチとの方が百合なボディータッチしてるのは気のせい気のせい。というか、シャチの適応能力は結構高い。 ちなみに音楽室の七不思議は実話。私も閉じこめられたことあります。挿絵の桃色はハートじゃなくて湊の寝癖です。 |