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プロローグには長すぎる!?



 私は廊下を歩いていた。特に急ぐわけでもなく、足取りも軽やかなわけでもなく。幼なじみ兼親友のみなとと私は、小学生の頃から登下校を共にしている。それは高校二年生になった今でも変わりなく、こうして私は空き教室へ歩を進めているのだ。
 三階旧校舎の西側にある空き教室は、湊が私の生徒会長の仕事終わりを待つ場所の一つ。目的地の前に到着した私はドアをうるさくならないように開き、ゆっくりと足を踏み入れる。
 窓際にはたくさんの机と椅子が積み上がっていて、春の暖かい日が差し込むはずの窓には暗幕がしてある。使われていない教室なのにもかかわらず埃が見当たらないのは、定期的にここの主が掃除しているからだ。電気がつかないので、ここは暗闇に近い。そんな教室に、一組の机と椅子を出して座る人物が一人。


 この状況で『旧校舎のお化け』と言ったら誰もが信じてしまいそうな――


 いや、実際に『お化け』って言われてるんだけどね、これが。
 肩にかかるくらいの黒髪は直してあげる気も失せるほどボサボサ。メガネをかけているのに前髪が少し長めで、正面からでも目の表情を読み取ることは難しい。細身というよりガリガリという体躯を見れば、そりゃあお化けに間違われても仕方ない。
 が、しかし。放課後の三階旧校舎の西側空き教室に居着いているのはお化けなどではなく、私のよく知っている人物――湊なのである。
「お待たせ」
 私が言うと、空き教室の主は頬杖を外してゆっくりとこっちを向いた。
「あ。シャチ。待ってた」
 幼なじみの名前さえ忘れてしまう湊は、小学校に上がる前から私のことを『シャチ』と呼んでいる。おかげで友達からもそう呼ばれているが、私の本名が覚えづらいのは確かなので、それで良しとしている。
 私が入り口でたたずんでいると、湊はいつものように手招きをした。いつものことなので、私は湊の側に寄る。


 そう、いつものように。


 湊は座ったままブレザーのポケットから飴を取り出して私に差し出す。これは習慣みたいなもので、あまり大きな意味はない。赤い包装紙だからイチゴ味かな。
「ありがとね」
 飴を受け取ってお礼を言うと、湊は口元をほころばせる。頬に膨らみがないので、今は飴を舐めていないようだ。
 湊の顔が近くにある時、私には気になって仕方ないことがある。前髪から覗く黒縁メガネの右レンズに、何年も前からヒビが入りっぱなしなのだ。でももう気にしないことにした。直す気がないみたいだし、私ももう慣れたから。
「さぁ。帰るわよ」
 私はもらった飴を自分のブレザーのポケットに入れ、空き教室を出ようと湊に背を向けて歩き出した。
「ちょっと待ってて」
 私は進行方向とは逆に引っ張られる。引き止める声を発したのは湊で、私は左腕の袖口を掴まれていた。え? どういうこと?
 この子は『いつも』が好きで、いつもと違うことが苦手。誰でもこの子の『いつも』を拒否すると、湊は激しく動揺してしまう。だから私は毎日湊を迎えに行くし、毎回飴をもらうのだ。それなのに……。


 これは――イツモトチガウ。


 放課後になると湊は空き教室で私の迎えを待つ。私が迎えに行けば必ず飴をくれて、その後は二人で下校する。これが『いつも』のこと。一度だって待ったをかけることはなかった。
 湊に何かあった? そういえば、放課後は絶えず飴を口の中に入れているのに、今その口にはいつもと違う言葉が舌の上で転がっているだけだ。
「……うん。待っててあげる。でも、どうして?」
「もうすぐ人が来る」
「湊はその人を待ってるの?」
 寡黙な湊はそこでうなずいた。……待ち合わせ? でも、それなら私は必要ない。
「その人、湊の友達?」
「……分からない。違うかも」
 そうだった。この子は友達とかの定義がよく分かってないんだった。
「お話があるんじゃないの? 私がいてもいいの?」
「シャチはいなきゃダメ」
 袖口を握る力が少しだけ強くなった。何だろう。嫌な予感がする……。『いつも』を好む湊を違う方へ向かわせているのは一体何? 少なくとも私じゃないわね。
「……最近よくここに来る子が来るんだ」
 確か一週間くらい前の放課後、湊が声をかけた女の子だったっけ? 私はその現場を見ていないのだが、その子は何やら困っていた様子だったので湊は声をかけずにはいられなかった。そう聞いている。時々この空き教室に来るらしいが、湊を迎えに行くよりも早くその子は帰ってしまうので、私は名前も顔も知らなかった。まぁ名前を聞いたとしても、湊じゃすぐに忘れるんだけど。
 話を戻そう。つまり、湊は今その子の方へ向かってるわけだ。たぶん。
「約束の時間だ……」
 湊のつぶやきと同時に私の左腕は解放され、湊が立ち上がったと同時に教室の後ろ側のドアが開く音がした。
「会長もいるとは驚きですね」
 声の主を視線でたぐれば、紺色のセーターを着た少女に辿り着く。湊が声をかけた子で間違いないだろう。廊下からの明かりで顔がはっきり見える。目は少しつっていて大きく、ここからでも分かるほどの長いまつげ。唇は少し薄めだ。髪は赤茶のロングで、とても艶がある。この子を一言で表すなら器量好しか。本人は驚いたとか言ってるけど、そんな風に見えないのは私だけ?
 というか。私、邪魔なんじゃないの?
「先輩。何の用ですか?」
 少女は後ろ手でドアを閉めると、私を一瞥することもなく湊の目を真っ直ぐ見る。睨むというのとは違う視線のようだ。湊と少女は教室の丁度対角にいて、私が会話の中継に入ってもいいくらいの距離に感じられた。
「来てくれてありがとう」
 二人のやり取りから察するに、どうやら湊が呼び出したらしい。それじゃついに『いつも』から旅立つ日が来たってこと?
「誘われなくても来る予定でしたから」
 抑揚のあるしゃべり方。しかし、少女の顔はさっきから無表情。そういえば、ポーカーフェイスだって湊が言ってた気がする。眉一つ動かさないでそんなしゃべり方をするなんて、器用な娘もいたもんだ。
「会長。あたしのこと覚えてます?」
 いきなり振らないでよ。驚くから。いや待て。覚えているかどうか聞かれたということは、彼女と私はどこかで接触していたということか。なんか似たような美人を見たことがある気がしないでもない。やばいな。湊のもの忘れ癖が移ったかも。
「ごめん。思い出せない……」
 私のバカ! 生徒会長のくせに、同じ学校の生徒を把握してないなんて!
「いいえ。構いません。あの時と表情が違いすぎますから。……これなら思い出します?」
 無表情だった美少女は、突然花が咲いたような笑顔を作った。この笑顔……。
「……あっ! あの時の!」
 数日前に生徒会でえらく忙しい仕事をしている時、素敵な笑顔で挨拶をしてくれた子だ。そうだそうだ。思い出したわ。
「あの笑顔で生徒会役員の志気が上がったのよね。あの時はありがとう」
「それはどうも」
 そう言った少女の顔はすでに無表情に戻っていて、視線は湊に向けられていた。
「あたしにお話ですか?」
「あ……うん。お話」
 湊は一歩前に出て私の横に並んだ。本当は背が高いくせに猫背なものだから、私との身長差があまり目立たない。一体何の話をするのかと目をやると、おもむろに湊は「ところで」と口を開く。
「君のことが好きみたいなんだ。付き合ってくれる?」
 暗幕の隙間から差し込む僅かな日差しで、湊のメガネがきらりと輝いた。まぶしっ……じゃなくて!
 君のことが好き、までは辛うじて聞き流せた。だがしかし、付き合うというのは交際という意味だろうが、湊よ。ちゃんと分かってんのか!? それとも冗談? でも、湊は冗談を言うような子じゃない。じゃあやっぱり!? ってゆーかさ、ところでって何よ!?
 私は視点が定まらず、色々なところに目を走らせている。どうやら相当気が動転しているらしいことは自分でも分かった。湊の顔、黒板、床、積み上がった机と椅子、そして表情のない美少女の顔――ふと目が合う。
 私の顔を眺め、すぐに視線を湊に戻す。一瞥しただけらしかったが、その意図はよく分からない。ただ一つ分かったのは、助けを求めるような目ではなかったこと。
 少女はゆっくりと、そしてはっきりと言葉を発した。


「いいですよ」


 待って! よく考えて! 一言で片付けていい事項じゃないはずだ。もっと慌てふためくとかしてくれないと、私が慌てふためくことになるけど!?
 湊の『いつも』から脱線したと思ったら、まさかここまで脱線するとは。湊が美少女に告白して、それに対して二つ返事? こんなにも簡単に? 簡単すぎやしないか?


 それはここが――女子校だから?


「好きな人ができたなんて聞いてないんだけど」と私。
「……言うの忘れてた」と湊。
 湊が忘れてたと言う時は本当に忘れているので、こっちは返す言葉がない。私は倒れそうになるのをなんとか持ち堪え、ボサボサ頭に手をやる湊に問いかける。
「湊。あんた、今自分が何言ったか分かってる?」
「分かってる」湊はうなずく。「あの子に告白した」
 ちゃんと意味は分かってるじゃねぇか!
「だって、湊は女の子で、あの子も女の子で――」
 私はそこで口ごもった。レンズの向こうの湊の目が見えてしまったから。
 女の子だとどうしていけないなんて聞かれたら? どうやって止めればいい? 私には湊を納得させられるような説明が思い付かない。私が何か言って止めたところで、今の湊は全てに対して疑問を投げかけてくる。そういう目をしているのだ。
 ――私は、はたと気付く。


 湊はすでに、『その壁』を乗り越えてしまったんじゃないか?


 好きな人ができたと私に言い忘れている間、湊は壁を乗り越えている最中だったんじゃないだろうか。そして壁の向こうに到達した後、湊は自ら『いつも』から外へ踏み出して告白を。
 そのことに気付いた瞬間、決して嫌な気分にはならなかった。むしろその決意に、私は感歎すら覚え始めている。自分から外に出た湊を否定したら、どうなるか分かったもんじゃない。なら私は、自分から歩き出した湊の背中を見守るしかないのだ。……せめてその壁が透明だと見やすくて助かるんだけど。
 ――そういえば。湊に二つ返事をした女の子が残っていた。迷いもしないで受け入れた彼女も、きっと壁の向こう側にいるのだと思う。私は一応、美少女に忠告しておく。
「いいの? この子すっごく扱いにくいわよ? 超マイペースだし、すぐ名前忘れるし。付き合うなら、相当の忍耐が必要よ」
「承知してます」
 あぁ……。完全に壁の向こう側の人だこれは。
 私がかなり憔悴して湊の机に手を置くと、湊はポケットに手を入れてそのまま美少女の方へ歩いていく。湊の表情は、優しい微笑みを浮かべていた。目元は見えない。しかし微笑んでいる。何年の付き合いだと思ってるんだ。あんたのうれしそうな顔くらい、すぐに分かるっての。……で。少しは私を労ったらどうかね?
 湊がさっき私にしたように美少女に飴を手渡すと、彼女の頬がほんの少しだけ色付いて、表情がないのに笑顔よりも艶っぽく見える。両想い……なの?
「ありがとうございます」
「君、何て名前?」
 おい、ちょっと待て。湊よ。名前も知らない子に告白したのかお前は!
吹越ふきこし恭子きょうこです」
 君も普通に答えるわね。
「以後お見知りおきを、会長」
「あ、えぇ。こちらこそ……」
 私はもうこの一言で疲れてしまい、椅子に座ることにした。
「じゃあ」
「さようなら」
 湊は片手を上げ、美少女は頭を下げる。礼儀正しいけど、やっぱり無表情。すると、湊はスタスタと私のところへ戻ってきた。
「一緒に帰らないの?」
 私が聞くと、湊は小首を傾げる。なぜ傾げる!?
「カップルって一緒に帰ったりするでしょ?」
 自分で言っておいてなんだが、カップルはストレートすぎた気がして、少し自己嫌悪に陥った。だって私、壁乗り越えてないし。湊はさらに首を傾げる。
「でもシャチと帰らないと……。私はいつもシャチと帰ってる」
 おいおい。こんな時に何『いつも』通りのこと言ってんだよ。私はドアの前に姿勢良く立つ美少女にもう一度――いや、最後の忠告をする。
「めんどくさいわよ。覚悟できてる?」
「ばっちこいです」
 彼女は無表情なのに、なぜか私には自信に満ちているように見えた。満面の笑顔よりいい顔してるよ。


 ――で、その帰り。
「何で私の前で告白したの?」
「シャチには知っててほしかったから」
 なら好きな人ができたって最初から言えよ。とか思っても、相手が超マイペース娘なのでこればかりは。元々寡黙だし、超忘れっぽいし。おかげで今日は人生で一番精神的に疲れたわよ。もしかしたらいいダイエットになったかもしれないわね。わーうれし。
「あのね、告白で『好きになったみたい』はちょっと失礼だと思うのよ。だから、次にあの娘に言う時は、『みたい』を付けない方がいいわね」
 何アドバイスしてんの私……。
「そうなんだ。教えてくれてありがとう、シャチ」湊は口に飴玉を放り込んだ。
 私はため息をついた。まぁでも、結果としては喜ばしいことで……うん……喜ばしいはず。湊が自分で行動を起こしたのだ。うれしいじゃないか。でも何だろ。この引っかかる感じ。
 ……………………あ。私は気付いてしまった。放課後の数分間でやせ細った心にさらにダメージを与えるようなスゴイ真実を。


 湊は『いつも』から外へ踏み出して歩き始めたわけじゃなく、一歩だけ外れて美少女を『いつも』に引き込んだだけじゃない?


 血の気が引いていくのが分かった。なんて恐いことに気付いてしまったんだろう。あぁ立ちくらみが……。肉体的にもかなり来たみたい。願わくば、美少女が聞き分けのできる娘でありますように!
 とか考えていたら、突然湊に手を取られた。頭の切り換えができなかったので湊のメガネのヒビを見つめていると、手の平に感触があった。そっちに目をやると緑色の包装紙の飴玉が乗せられている。
「待っててくれたお礼」
 そう言って湊はメガネの両端を親指と薬指でくいっと上げた。手がメガネから離れた時に見えた目は、柔らかく微笑んでいた。倒れそうになる私を助けてくれたわけじゃないのかよ。
「……ありがと」
 私は立ち止まって包装を外し、宝石のような飴玉を口に放り込む。マスカットの味が口内に広がるのを感じて、いつものように私を待たないで前を歩く湊に目をやった。


 私も壁の向こうへ行って、湊のすぐ側にいた方がいいらしい。でも、ちょっと待ってて。私が乗り越えるには少し時間がかかりそうだから。
 とりあえず、脚立持ってきて。
2007.4.29
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あとがき
 とりあえず最初は湊と恭子の淡泊さ加減を出すために、第三者のシャチの視点で書きました。題名の『キャンディーガール』は、かわいい女の子という意味ではなく、湊にとって飴と同じくらい大好きな女の子という意味です。ということで、主人公は湊ということにしておきます。
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